業務内容
軽天屋(けいてんや)さんのお仕事
そもそも軽天(けいてん)ってなに?
「軽天(けいてん)って軽い天井のことじゃないの」
はいその通り、なのですが、いったい何と何をくらべて軽いのかって話しですよね。
まずは、鉄の材料のことを「鋼材(こうざい)」と呼びます。
「鉄骨(てっこつ)」って一度は見たことや聞いたことはあるのではないでしょうか。
建設現場で建物の骨組みなどに使われている、赤い色やグレー、または錆びて茶色い色をしたH型やI型、丸型、四角形などの形をした厚さ6ミリ以上の鋼材を「重量鉄骨(じゅうりょうてっこつ)」と呼びます。鋼材がぶ厚くて重いので、頑丈な骨組みができあがります。
では、重量鉄骨を内装の天井で使ったらどうなるのでしょうか?
「とにかく重い」
「ぶ厚すぎて加工がたいへんだわ」
「どうやって運ぶねん」
「こんなん手で持ち上がらんわ」
「落ちてきたらひとたまりもないで~」
「かたくてビスうてないわ」
「材料代ばかならんね」
・・・・
と、クレームの嵐ですね。
なので天井は軽くて、鋼材は薄い方が良いのです。
厚さが6ミリ未満で軽い鋼材のことを「軽量鉄骨(けいりょうてっこつ)」と呼びます。
なので、軽量鉄骨で天井を作る職人さん達のことを「軽天屋」さんと呼びます。
主に石膏(せっこう)ボードを貼るための下地(したじ)となるので、「軽鉄下地工(けいてつしたじこう)」や「軽鉄工(けいてつこう」とも呼ばれています。
鉄の建築はいつからはじまったの?
1851年イギリスのロンドンで第一回世界万国博覧会が開催されたときに、「クリスタルパレス」水晶宮(すいしょうきゅう)と呼ばれる鉄とガラスでつくられたパビリオンが最初の鉄骨建築とされているそうです。
その頃の日本はまさに幕末、鎖国(さこく)の時代でペリーさんが黒船に乗って日本にやってきたのが1853年なので、当時のヨーロッパにおける鉄骨の建築技術の高さを感じますね。
<日本の鉄骨建築は?>
1868年(明治元年)に、長崎県長崎市小菅(こすげ)町にある「小菅ドック」や「そろばんドック」とも呼ばれる、船を修理するための施設で、国の史跡で世界遺産である「小菅修船場(こすげしゅうせんば)」の巻上げ機小屋は煉瓦(れんが)造りで、一部に鉄が使用されていたそうです。
1894年(明治27年)現在の東京銀座の場所に日本最初の鉄骨造「秀英舎印刷工場(しゅうえいしゃいんさつこうじょう」が建てられました。
そして軽鉄天井下地が日本で最初に使用されたのは、1957年の東京丸の内再開発工事と言われているそうです。
なので、縄文時代の竪穴式住居(たてあなしきじゅうきょ)の時代から活躍していた「大工さん」「左官屋さん」「屋根屋さん」の歴史とくらべると「軽天屋さん」はまだ70年程の歴史しかない、新しい業種の一つとして考えられても良いかと思います。
なぜ普及したの?
日本では木造建築が主だったので火事で焼失することを防ぐために、燃えない材料で、軽い材料を使う高層建築の事務所ビルなどあらゆる建物に採用されました。
工事に入る時期は?
主に「躯体(くたい)工事」と呼ばれる、鉄骨工事、型枠工事、鉄筋工事、コンクリート工事など、建物の重要な部分「構造体(こうぞうたい)」ができあがった後に軽天工事が入ります。
なので、「内装仕上工事」としてはトップバッターとなり内装の壁や天井を造っていくことになります。
ボード張り工事
ボード張り工事
ボード張り工事とは、主にせっこうを芯材とした板材のせっこうボードを軽量鉄骨下地に張り付けていく仕事です。
<そもそもせっこうとは?>
実はびっくりするほど古い資材でした。まさかの、紀元前7000年古代エジプト時代の王様の棺や、コップ、道路、彫刻などさまざまなシーンで使用されていたそうです。
せっこうの原石を焼いて、砕いて、水を混ぜて固めるといった流れになるそうです。
せっこうボードを製作、販売されている吉野石膏さんの説明ページがめちゃくちゃわかりやすいので下記リンク先を貼り付けます。とても勉強になります。
リンク先はコチラ⇒ 吉野石膏 /「せっこうってナニ」のページ
そしてそのせっこうボードを壁や天井の軽量鉄骨下地のうえにタッピングビスで貼り付けていくことが「ボード屋さん」の仕事です。
最終仕上げ(クロス・ペンキ等)の下地になる場合や、せっこうボード自体がそのまま仕上げとなる場合もあります。
せっこうボード材はカッター等で加工していきます。
材質や厚み、寸法がさまざまなせっこうボードを建物の設計や仕様で、その特性にあう種類のせっこうボードを使用していきます。
われわれの仕事は、設計図や仕様書に則り、ていねいに施工を行っていくこと。そして安全や衛生面にも十分注意しながら進めて行くことを日々こころがけています。